実験心理学や、脳科学といった計測可能なアプローチをとる学問の観点から答えてください。
哲学的な回答や、宗教的な回答は、いりません。
心理学的アプローチで、主観的幸福感を測定する方法があります。
(一部抜粋)主観的幸福感は、機能的には、自分の人生への認知的評価とその評価に基づく感情という両面をもつものであるが、これらを、幸福感の主観的経験としては不可分のものと考えて、4項目より測定する。
主観的幸福感を測定した研究はけっこうたくさんあります。これはその一例です。
これは高齢者を対象に、主観的幸福感に焦点をあてて、QOLとADL(日常生活動作)の関係について考察している論文です。
幸せ、というのはとても主観的なものだと思うので、私にはこの手の説明が一番しっくりきます。
どんな状況であれ、それにどの程度満足しているか、ということが“幸せ”を定義するひとつの要素になるのではないでしょうか。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255002738/249-0896...
これで読んだ気がします。
今の学説では簡単に言えば幸福を感じる中枢が興奮することとなりますが、外部の刺激を受理することによって脳の中での電荷取引が活発になり、それによって中枢を刺激するとかだったとおもいます。
なるほど。大脳生理学の観点からの定義を知るには、その本を読めばいいわけですね。
ありがとうございます。
他の学問による説明・定義があれば、教えてください。
α波などの脳波と、幸福とは関係ないのでしょうか?
幸福…陶酔・満足・快感
幸福が満たされると人は何もしようとしなくなります。(それだけで満足ぅ~ ようはラリってる多幸状態)
脳内でドーパミン過多、薬物的にする場合メタンフェタミンやアンフェタミンで代用:通常違法です。
ある意味不幸な方が生産性は上がります。
名に「幸」とつく無職の者が言っても説得力皆無でしょうかね?w
つまり、「幸福=ドーパミンが出ている状態」ということでしょうか?
専門の分野でなければ、参考文献等を教えてください。
ちなみに、幸福感を得る方法ではなく、幸福感の定義が知りたいのです。
http://trauma.or.tv/1nou/3.html
http://sasapanda.net/archives/200506/07_2239.cgi
人間の感情というものは主に
ドーパミン、アドレナリン(ノルアドレナリン)、セロトニン
という神経伝達物質のバランスによって構成されていることがわかっています。
幸福感はこのセロトニンの分泌が多くなっている時に感じるようです。
http://www.suga.gr.jp/haru/meh/kirehama/09.html
ところで、ドーパミンなどによって快感が生み出されると、その興奮を抑制しようとセロトニンが分泌され、満足感や幸福感が生み出されます。ドーパミンが快感を生んでも、セロトニンが作用しにくいと、満足感が得られず、あえて言うならば、幸福不全症候群になってしまいます
http://www.sankei.co.jp/eco/special/big/66.html
気がめいったり、喜びを感じたり。人はさまざまな気分に包まれる。そんなとき人間の心の中では何が起きているのか。近年、脳内で分泌される神経伝達物質が関係していることがわかってきた。このうち、安心したり元気がでるなど、幸福感を感じさせるのは「セロトニン」という物質だという。(田村龍彦)
(中略)
ランナーズ・ハイも当初はこのエンドルフィンが関係していると思われていた。しかしその後、マラソン選手の脳内では、むしろ快感を感じさせる別の神経伝達物質、ドーパミンとセロトニンがより多く出ていることがわかった。
なるほど。
わかりやすい説明をありがとうございます。
化学物質の量も計測可能ですね。
これは、医学かな。
http://www.nagaitosiya.com/a/happiness.html
幸福の定義となると、倫理とか絡んできますね。
あんまり、探っていったら宗教に行き着きました。
私的には面白くない結果なので、最初の幸福の定義の
URLを添付します。
これは、計測不能な定義なので、求めているのと、ちょっと違いますね。
http://homepage2.nifty.com/anme/hint/zatugaku_areyakoreya_no...
セロトニンは幸福感・情緒・攻撃性の調節などに関係し、愛情や幸福感を生む物質で、ドーパミンは創造性・攻撃性・運動などに関係し、やる気や思考力に重要です。
サルの例ですが、幸福感の計量となると脳内の伝達物質の量で調べられるのがメインでしょうか。交尾するときよりも道具を使ったり、「考える」作業をさせるときのほうがドーパミンの放出量が多いという話も聞いたことがあります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=17094
サルが頭を使っているときに、快感を伴うドーパミンが分泌されていることが、一応実験で確かめられた訳です。
幸福というのを状態として考えると、これらの物質のバランスというのが重要になってくるのは確からしいですね。さらに、脳波や脳内での活動として幸福の状態を考えるのには、まだまだ計量可能な科学の範囲でも応えるのが難しいのではないでしょうか。それに挑みつつある状態だと私は認識してますが。それも、脳、神経というレベルでの話に限った話ではあります。
すでに出た回答と、アプローチが同じですね。
違う学問の視点からの回答、あるいは、同じ学問の場合は、さらに正確な定義をお願いします。
学術論文や、学会誌に載っている定義などです。
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/shikou/enrichmen...
そこで問題になるのは、心理学的に「幸福」をどう定義するか、どう客観的に測るかである。わたしは、以下の2つの行動学的規準を提案してきた。
1)その動物種がもっている本来の行動レパートリーをできるだけ満たすようにする。
2)その動物種がもっているそれぞれの行動レパートリーの時間配分をできるだけ本来のそれに近づける。
二重投稿失礼します。やはり、生理学的定義が難しいとなると、心理学的定義でしょうか。上記の定義はどうでしょうか。
面白いアイデアですね。
ありがとうございます。
http://homepage3.nifty.com/ryo-abe/macroTxt/mcrTxt.htm
マクロ経済的な観点から幸福の尺度を計測すると、労働市場における所得と労働時間で説明することが出来ます。
人間が生活をするためには労働をすることにより賃金を得る必要がありますが、より多くの賃金を得るためには労働時間を長期化するか、よりハードな労働をする必要が生じる一方で、私生活の時間を削減すると言う、喜びを減少させる必要があります。
よって、外部要因がない状態であれば、この労働時間により私生活の満足感が最大になるという時間設定で労働をするわけです。
「喜び」や「幸せ」とはなんなのかを知りたいわけで、それを得る手法を知りたいのではありません。
たとえば、「私生活の時間」=「喜び」とは一概に言えません。ワーカホリックの人を初め、仕事の時間を楽しんでいる人は、たくさんいます。
>マクロ経済的な観点から
というよりは、「マクロ経済学の手法が、幸福の測定にも適用できると仮定すれば」という話に過ぎないですね。
心理学的アプローチで、主観的幸福感を測定する方法があります。
(一部抜粋)主観的幸福感は、機能的には、自分の人生への認知的評価とその評価に基づく感情という両面をもつものであるが、これらを、幸福感の主観的経験としては不可分のものと考えて、4項目より測定する。
主観的幸福感を測定した研究はけっこうたくさんあります。これはその一例です。
これは高齢者を対象に、主観的幸福感に焦点をあてて、QOLとADL(日常生活動作)の関係について考察している論文です。
幸せ、というのはとても主観的なものだと思うので、私にはこの手の説明が一番しっくりきます。
どんな状況であれ、それにどの程度満足しているか、ということが“幸せ”を定義するひとつの要素になるのではないでしょうか。
学術的な回答、ありがとうございます。
こういうの求めてました。
特に一つ目のリンク先に書かれているような内容。
贅沢を言うならば、その4項目が何かまで書いてもらえると最高でした。
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