ちょっと失礼します。
私の場合、
御金が無かったり、
体や心の元気が無かったり、
物事が上手く行かない事が多かったり、
(色んな意味で)力を持つ人や組織等が行動や考え方を縛る様な言動をして来たり
すると、自由でない、と感じたります。
また、
体や心が元気一杯だったり
御天気が素晴らしくよかったり、
自分の意見が割と苦労せずに通ったり、
すると、自由だなぁ、と感じたりします。
で、未だ無い事ですが、
御金が十二分に有ったりすると、
全ての物事が上手く行ったり、
多分、自由だぁ!!!、とすっごく感じたりするかも知れません。
まずは経験からの勝手な意見まで。御役に立てれば幸いです。
・自由でない!篇
会社員である事(以下詳細)
①気分が乗らない時、ちょとした体調不良でも出社しなきゃ行けない時
(学生だったらすぐ休んでたのに…)
②好きじゃない人とも酒を飲んだり、話をしたりしなきゃいけないこと。
(上司とかお得意とか、色んなしがらみから抜け出せない自分に嫌になる)
③自分が書いた企画書が通っても、いろんな人の意見で全然違うものになったり、
全部自分の思った通りのものがつくれないこと。
(企画が通ったんだから、全部任せてみてよ!っていつも思う。)
④欲しいものが、全部買えないこと。
(これは会社員とか関係ないですけど。値段気にせず色んなものを買える人間になり
たい。)
なんか幼稚な欲求だなーと我ながら恥ずかしくなります。
・自由だ!篇
①金曜日の飲み会。
(翌朝を気にしないこの開放感。飲み過ぎても大丈夫、みたいな。)
②一人暮らしの部屋でのオナラ。
(家族が居ると外へ行け!と怒られ、彼氏が居る前では絶対出来ないし。)
③好きなものを好きなだけ食べているとき。
(太るとか、お会計とか、時間とか、そんなことが一切考えなくて良いとき。
2年に一回くらいそんなときが訪れます、ワタシには。)
④何にも予定の入ってない、春うららかな休日。
(これは暖かい気温18℃くらいの気候でないと駄目。)
こんなちっぽけな自由しかないです、ワタシ。
これ書きながら、ちょっと自嘲してしまいました。
何にも予定の入ってない、春うららかな休日はいいですね。
たとえどんなにお金を持っていてもやりたいことは同じという気がします。
自由ではないと感じるのは、政治の動きを見る時ですね。
自分の生活に密接に関わる問題が、
自分を無視して勝手に決められていく。
たとえば増税とか。
他人が勝手に決めた物に無理矢理従わされる。
まるで押しつけの校則に縛られていた頃を思い出してしまいます。
でも、好きな楽器を弾きながら歌っている時には
自由を感じます。
ここだけは誰にも壊されない自分だけの世界。
どんな曲をどんなふうに演奏しようと、全て自分の自由です。
プロになったらそんなことも言っていられないのでしょうが、
この自由はアマチュアだけの特権ですね(^-^)
政治が勝手に決められていくのには、斜に構えたくなりますよね。
本気で怒ったらさらに損をするみたいな悲しさがある気がします。
○不自由を感じる時
子供の頃は親と一緒にいるだけでも、やれ宿題だ勉強だの小言を言われっぱなしで、ああ自由が無い…と親の有難さも解らず嘆いたものでした。
また家業を継がねばいけなかったので、その事で幼い頃から周りの重圧というか責任というか、そういうのでかなり窮屈な思いをしてきました。
大人になった今では、やっぱりお金に関する事では不自由を感じっぱなしです(笑)。
○自由を感じる時
大きな仕事が終わって、うーんと背伸びをした時「これでしばらくは自由だ!」と小躍りしたくなります。その後の飲み会も格別です。
あとは電気を消してベットに入り、眠りかけの何も考えてない瞬間、心も体も自由を感じます。
社会人になって、勉強したいのに忙しくてその時間が
とれない時って自由じゃないなぁって思います。
逆に自由を感じるのは、お金を持ってひとりで
気ままに街にでかける休日です。
>自由ではないと感じるとき
話が通じなくて自分に不手際や反省すべき点が見当たらないとき。
なおかつ、それでもこっちが悪いことにされてるとき。
生きてるのがイヤになるくらい不自由です。
>自由だと感じるとき
体調を崩した時。
「ああ、さっきまでの自分は自由だったんだな」と健康や当たり前の日々のありがたさを思い出させてくれます。
親が厳しかったし、自分に自信がなかったから親に従順でした。
結婚してから翼が生えたかと思うくらい自由になった感じです。
あまり人の顔色をうかがわずに、自分で何でも決めれる。
ちょっとくらいの失敗や危険は自分の責任ですむ。
少しは主人に遠慮するし気遣うけど、許される範囲で自由を謳歌してます!
自分に自信がなかったから、というのを過去形で言えるのはとてもいいですね。
おめでとうございます。いやみとかじゃなく本当に。
全てはお金が無いから・・・。
家族や恋人や、権力や名誉も、むしろないほうがある面で自由ですが、お金は別格のようですね。
若さと健康とお金だけは、あればあるほど自由なのかもしれません。
・自由ではないと感じるとき
次にしなければならない事をあれやこれやと考えてるとき
・自由だと感じるとき
今していることに夢中になっている時
こんな感じでいいのかな?
今に殉じられるのが自由の秘訣ということなのかな。。
小説、陰陽師の中で、もっとも短い呪は名前である事が書いてありましたが、
自由を感じる時があったにしても、それは縛られている役割(呪い)が少ない状態というだけで、真の自由ではないのではないか?
そう思います。
今、携帯が止まっているので少々寂しく感じているのですが、止まっているという事は、携帯利用者という名前から携帯料金滞納者と名前が変わった訳です。
ほとんどの名前の呪縛から解き放たれるとして感じるのは『自由』ではなくて『孤独』だろうなと想像します。
論点がずれていたらすみません。
いや、ずれてはいませんよ。
夢枕獏の小説だとするなら、5年以上前に読んだことがあるかもしれません。
生まれた時にもらった名前さえなくしたら、自由というより無に近い。
あの作者は無と有についてよく書いていたような記憶があります。
自由ではない状態の表現として「窮屈」という言葉がよく使われます。
家にたとえるなら、狭いのが不自由で、手足を伸ばせれば自由を感じ、それ以上に広い望む以上の自由というのは、ありがたくないものなのかもしれませんね。
http://homepage2.nifty.com/moon_night_angel/poem/77.html
ダミーです。
常に自由ではないと感じて窮屈です。
今自由だなと思えるときは、好きな音楽をヘッドフォンで聴いてるときだけです。
それはつかの間で、常に不自由で苦しいです。
常に苦しいほどの不自由があるというのは、誰かに支配されているのでしょうかね・・・
・自由では無いと感じる時。
それは敵がいるときです。
紛争や争いをしている時です。
敵とは別に映画や漫画や犯罪ニュースの敵ではありませんが。社会的な敵、です。
敵の攻撃に対して4、6時中備えをせねばならないし、強度な軋轢や、巨大な環境的ストレスを常に抱えていなければなりません。極端に自由がありません。それらのストレッサーを抱えたままでも、自分の立場をちゃんと保たねば争いには勝てないし、紛争に負ければ大変なことになるからです。
・自由だと感じる時
上記の長期間の争いや紛争に勝利した時。
敵が一気に消えてしまいます。極端に自由が帰ってきます。
社会的な紛争が勝利で終わった時、本当に自由になります。
大変興味深いですね。
もしここをご覧になっていて、よろしかったら再度回答していただけないでしょうか?
勝利に自由を感じるコツ?というか、感じられる理由などを知りたいです。
私はそういった社会的紛争においては圧倒的な戦力を有しているケースが多く、争うことはあまりありません。
一方で、勝利はたいてい後味が悪く、サッカーで日本が勝つみたいなわかりやすい爽快感はありません。
彼我の戦力差をわかってない奴につっかかられると、久々にやっつけてしまいたい気分があって愉しみを覚えることもありますが、その結果を考えると憂鬱でストレスを感じることが多いです。
戦争や紛争と言った言葉を用いるなら、私の感覚のほうが言葉の定義に近そうな気もします。
自由な時。
それは「今」です。
今、こうやって回答をして、ご飯を食べて、お花見に出掛けて・・・。
誰の拘束も強制的に受けない時間、それが「自由」だと思います。
強制的にというのがポイントでして。
例えば「仕事の時は不自由だ」とは感じません。
その仕事は、自分が「自由に」選んだ仕事なので、不自由だとは思いません。
わたしにとっての不自由、それは戦争や自然災害などで満足に食事などが出来ない時ですね。
あと、仮に徴兵制になったとしたなら、その時は不自由を感じることでしょう。
○自由ではないと感じるとき
親が厳しかったので、門限とかいろんなコトに制限されました。そんな時とか。
あと、正社員として働いてる時かな。定時では帰れなかったから。自分の仕事は終わってて、帰りたいのに、帰らせてもらえなかったなぁ。
あと、仕事上での人付き合い。飲み会とか行かなきゃいけない時。
○自由だと感じるとき
仕事が無いとき。。。拘束されないからね。
○自由でない
学校の授業を受けている時や、電車に乗っている時です。つまり「大声を出せない」という状況に置かれているとき、不自由を感じます。クールを装っていなくてはならない、普段の自分を出してはいけないというときは本当に不自由を感じます。
○自由である
「自由でない」で述べたのと逆の状態のとき、自由だと感じます。友達とカラオケにいったときだとか、家で一人でのんびりしているとき、こういうときに自由を感じます。
・自由でないと感じるとき
門限
学校
5~6分間のバスの待ち時間
病院での待ち時間
・自由と感じるとき
正月
受験が終わった瞬間←最高!!☆☆☆
眠たいときに寝れるとき
こんな感じっす☆
1.自由だと感じる時
自分の意思で行動をしている時。主に趣味の時間。
2.不自由と感じる時
相手若しくは第三者の依頼若しくは要望に従って行動をしている時。主に仕事中。
自由だと感じるとき:家で一人でいるときは自由だと感じますね。特に休日ごろごろしているとき。
不自由だと感じるとき:会社・学校など強制的なものに参加しているとき。本当は断りたいのに付き合いで断れない食事等に参加するとき。後は家でごろごろしている(自由だと感じている)ときに突然呼び出されたときですね。
家が自分の本来の居場所で、会社は強制されて行く場所ということですね。
逆の立場の方もいらっしゃいますが、ryokutonさんのスタンスのほうが圧倒的に多数派ですよね。
・自由ではないと感じる時
特に、立場やしがらみに則って決断をする時
・自由だと感じる時
自由ではないということを忘れている時
つまり、一人ではないということですね。
人は決して一人にはなれないのではないでしょうか。
全て(自分自身も?)を捨ててホームレスになる自由はこの国の誰にでもあります。
一方で新宿中央公園のホームレスを観察しているとそこには仲間同士の集まりがあって協力して暮らしており、またキリスト教の祈りと引き換えに食事を得たりもしているようです。
独りという極端な究極の自由を自由と考えるなら、誰も望まないし、決してなれないかもしれませんね。
たとえ独りで無人島で暮らしていても、きっと1日の大半を使って誰かのことを考えるのではないでしょうか。
自由ではないと感じるとき
家に帰って子供の顔を見たとき
自由と感じるとき
会社に行って自分の席に座ったとき
子供には聞かせたくないお話ですね。
会社は人の人生を最後まで面倒みてくれませんし、人の価値を利用価値でしか評価しません。
子供のほうが長い付き合いになりますよね。
一方で、子供を養うのはずいぶんお金がかかるし、そういうのが実感としてありえるんだろうなとは思いますね・・・
学生だからですかね、
テスト前になって必死に勉強してテレビもなにもしないで娯楽のない三日間を過ごしている間は
俺に自由をクレ!と言う気分になりますね。
でも、テストが終わってPC等をしているときはすごい自由な気持ちになります。
だから今、幸せです。
そのショートスパンな視野が素敵です。
もう少し大人になるときっと別の感じ方をすると思いますよ。
試験がそんなに重要なら、3ヵ月後にあったって不自由を感じるだろうし、それが常に意識の中にあるようになります。
ちなみに私は週明けに大きな区切りが来ることになっています。
ここ1ヶ月休日なしで深夜まで働いています。
私には、食事を取る時間や食事内容を決める自由、そして一日の終わりにここにアクセスする程度の自由があります。
週明けに区切りを迎えて、ようやくペースが緩くなることを期待していますが、すごい自由な気持ちにはなれるかどうか・・・・
すごい自由な気持ちを感じられるのは、今を生きているということなのかもしれませんね。
私の場合は、誰かといると大体自由じゃないな~と感じます。
電話がかかってくるときもそうですが、なんかしなきゃいけない気持ちになります。
寝ているときに電話がかかってきたとか、やりたいことがあったのにあれこれしてといわれたりとかです。
そうですね。
それはとても思います。
相手の期待を察して、それに応えようと考えるからですよね。
自由でないと感じるとき
上司にえらそうにされるとき
心では私がこの上司をコントロールしてやりたいとさえ
思っているとき。
又 思ったことを腹にしまって口に出せないとき
いってしまえば人間関係とか全てのもが失われると感じるとき。ヒ人の家で間借りをしているとき。
ひとにおごってもらって飯のうまさがもう一つわからないとき。
金が無いとき。
飲み過ぎて二日酔いになりベッドにしばられてるとき。
自由だと思うとき
金があり車もあり自分の時間もあるのに
関わらず息子が不在で遊びにいってるとき
風呂からあがってすっぽんぽんでうろうろするとき。
仕事でストレスが溜まってきて、疲れて帰宅したら、今度は妻から様々な愚痴を聞かされた時
あと、買いたい書籍とか飲みのお誘いがあって、手持ちの金もあることにはあるのだけど、これを使ってしまったら給料日まで持たないと自覚したとき
妻子が実家にお泊りして、久しぶりに一人暮らし気分を味わえるとき!
※念のため書いておきますが、特に深刻な家庭の問題があるってわけじゃないですよ(笑)
goldwellさんの感覚は自然なんじゃないかと思いますよ。私も共感できます。
一方で、結婚して自由になったと回答されている方もいらっしゃるのが興味深いですよね。
組織がしばるような行動をしてくれば、自由でないと感じます。
後は給料が少なすぎるか労働時間が長すぎると自由でないですね。
それでも、自分のやりたいことができれば自由であるのかもしれません。
高校生です。
自由でないと感じる時は、主に
1.部活で活動日を厳密に決められてそれに従ってスケジュールを立てなければ行けない時
→他校の友達と遊びに行きたい時に、こちらのスケジュールに合わせてもらわないといけないので、大変です。休みもわずかで、遅刻欠席に厳しいので軽はずみに休めないのがつらいです。
2.しなければいけない課題などに振り回される時
→学校や塾の課題におわれて趣味の時間が削られる時のことです。
3.花粉症で集中力が持たない時
→昨年から花粉症が出始めたのですが、鼻が詰まって作業効率が落ち、いらいらする時です。とても不自由に感じます。
です。
自由と感じるのは、
夏休みなど、長期の休みの時に自分のしたいことを一日やろうと決め、時間を取ってのんびり過ごす時です。また、映画を見に行ったり、ぼんやりテレビを眺めている時など、何も考えなくていい時が自由に感じられます。
☆自由でないと感じる時
社会の一員だと感じたとき。
自分の年齢が、平均余命以下だと思ったとき。
自分がまだ子供を生んでいないので社会に貢献しないで、義務を果たしていないなと感じると、強迫観念から自由でないと感じます。
☆自由だと感じる時
寝る前の布団の中の5分間。
自由でないと感じる時~、
商売の経費を勝手に使いたいなあと思っても
家内に反対されるかなあと家内の顔が頭に浮かんだ時~。
涙。
自由でないと感じる時~、
浮気心が働いてどうしようかなぁ~と考えている時、
その後に家内に何をされるか考えた時~。
涙。
自由でないと感じる時~、
取引先が規則だなんだと言い訳する時~。
怒。
自由と感じる時~、
寝ている夢の中できれいなおねえちゃんと良いことした時~。
嬉。
自由と感じる時~、
寝ている夢の中で一夫多妻制で自分の好きなだけの
女性に囲まれている時~、
そして自分が何不自由なく与えられている時~。
勝。
自由でないと感じる時~、
やっぱり時間を戻してやり直しができないとしみじみ想う時~。
くそぅ~!
何とかまた頑張ろ!
自由でないと感じる時。
私の場合いつもお姑さんに監視されていること。またいつも泊まりにきますが、突然夕飯時に現れます。一緒に住んでいるなら、食事の用意はしますが、別に暮らしていて何も連絡せずわざと突然来ます。その時、余分にないといつも不機嫌になるし、まるで私のストーカーです。愚痴になってしまいましたが・・・本当に自由時間がありません。
自由だと感じる時。
友達とのみに行ったり買い物に行ったり、パソコンしている時間ですね。ほっとします。
私も天気がいいと自由を感じます。
自由の定義を考えれば天気は関係ないはずなのに不思議ですね。