それは見知らぬ男性の写真であった。もちろんおじいさんでもない。
親戚かと思い、母に聞いて見たが知らないようだ。
何となく気になって、私はしばらく持っておく事にした。
その写真の事も忘れかけていた頃、一人の老人が訪ねてきた。
「亡くなられたと聞き・・・。」
私は息を飲んだ。それは、写真の男性の年老いた姿であった。
線香を上げ終わった彼に、思い切って写真を見せてみた。
「まだ持っていたとは・・・。」
彼が語りだしたのは、家族の者も知らない祖母の恋の話であった。
学生であった祖母と彼は本屋で知り合った。本の趣味があった事から、二人は文学について議論を重ねた。お互いに惹かれあっている事はわかっていたが、今とは違い、その関係はプラトニックな所から進む事はなかった。二人はただただ、会っては短い時間のおしゃべりを楽しんだ。
そんなささやかで楽しい時間も、長くはなかった。
戦争が始まり、徴兵が厳しくなってきた。
そして、彼の元にも赤紙が送られてきた。
祖母は引き止める事もかなわず、彼も「生きて帰ってくるから、待っていてくれ。」など言えるわけもなかった。
最後の逢瀬の時、二人は写真屋へ行った。小遣いをはたき、それぞれが写真を撮った。そして、お互いの写真を交換したのだった。
「その写真がこれです・・・。」
男性は愛しいものに触れるように、写真をなでた。
それから遺影に深く頭を下げると、静かに去って行った。
おばぁちゃんが子供のときの写真で、
大人数の家族全員で写っている写真が
心に浮かびました。
よくありますね。大切な写真だったんでしょうね。
ありがとうございました。
若いころのおばあちゃんが着物着てこんな感じのポーズを取って
http://www.colornet-dpl.jp/modules/xoopsgallery/view_photo.php?s...
写っていた。
小道具の日傘やら煙草盆まで用意してどう見てもプロがスタジオで撮った感じの写真。メイクもくっきりしてちょっと妖艶な微笑………一瞬女優さんのブロマイドかと思った。でも顔はまちがいなくおばあちゃんの面影が。
いや〜人って歳をとると…と思った、悪いけど(笑)。
しかしいったいどういう目的でこんな写真を撮ったのだろう?明治の終わりぐらいの生まれだから年格好からして昭和の初めぐらいだと思う。今よりずーっと女性が大胆じゃいけなかった時代だ。
それも引きのばしもしないで小さいままの写真。
とはいえおばあちゃんは亡くなっているわけだし、おじいちゃんもさらに前に亡くなっているし、息子(親父)はこんな写真初めて見たとびっくりしているし、写真の中のおばあちゃんの微笑は永遠の謎のままなのであった。
きれいな写真にたどり着きました。
おばあちゃん、どんな過去があったんでしょう。
ありがとうございました。
①おそらく、そのおばあちゃんの若い頃(女学生時代)の写真だと思います。さぞかし綺麗だったのではないでしょうか。
②そのおばあちゃんの旦那さん(即ちおじいさん)との結婚式の写真ではないかと思います。
ありがとうございました。
15歳の私の写真が出てきました。
空想ではなく実話なのですが。。。ちいさな古い菓子箱ではなく、祖母の普段使いの財布の中から出てきました。
以前、写真館でテスト撮影のモデルをしたことがあるのですが、その時に写真館の店主から撮影した写真を何枚かもらいました。そして、そのうちの1枚を遠くに住む祖母に送りました。何の記念でもなく何の思い入れもなしに送った写真だったので、送ったことすらもすぐに忘れてしまいました。
それから数年後。祖母の遺品整理から戻ってきた母から茶色い財布を手渡されました。「これね、おばあちゃんがいつも使っていた財布なのだけどね、中を見たらあなたの写真が入っていたから、その場に居た皆であなたに譲ろうって話したのよ」と言われました。不思議な面持ちで中を覗くと、幾ばくかのお金とともに、1枚の写真が。。。
「何で私だけなんだろう。どうしてこの写真なんだろう。おばあちゃんの中では私はずっと小さい子どものままだったのだろうか」
決して応えられることのない色々な思いが次々に浮かび上がり、頭の中がぐるぐるして胸が苦しくなりました。
「おばあちゃんからの最後のお小遣いだね」
母の一言で、堪えきれずに涙が流れました。それから、祖母は本当にもうこの世界から居なくなってしまったのだと、初めて実感し、それを受け入れなければいけない現実に気づきました。
とても貴重なお話しありがとうございました。
それは見知らぬ男性の写真であった。もちろんおじいさんでもない。
親戚かと思い、母に聞いて見たが知らないようだ。
何となく気になって、私はしばらく持っておく事にした。
その写真の事も忘れかけていた頃、一人の老人が訪ねてきた。
「亡くなられたと聞き・・・。」
私は息を飲んだ。それは、写真の男性の年老いた姿であった。
線香を上げ終わった彼に、思い切って写真を見せてみた。
「まだ持っていたとは・・・。」
彼が語りだしたのは、家族の者も知らない祖母の恋の話であった。
学生であった祖母と彼は本屋で知り合った。本の趣味があった事から、二人は文学について議論を重ねた。お互いに惹かれあっている事はわかっていたが、今とは違い、その関係はプラトニックな所から進む事はなかった。二人はただただ、会っては短い時間のおしゃべりを楽しんだ。
そんなささやかで楽しい時間も、長くはなかった。
戦争が始まり、徴兵が厳しくなってきた。
そして、彼の元にも赤紙が送られてきた。
祖母は引き止める事もかなわず、彼も「生きて帰ってくるから、待っていてくれ。」など言えるわけもなかった。
最後の逢瀬の時、二人は写真屋へ行った。小遣いをはたき、それぞれが写真を撮った。そして、お互いの写真を交換したのだった。
「その写真がこれです・・・。」
男性は愛しいものに触れるように、写真をなでた。
それから遺影に深く頭を下げると、静かに去って行った。
わー、きれいです。
すこし、こういうの、想定してました。
ありがとうございました。
集合写真から切り取られたような写真の切れ端に写っていたのは、スーツ姿の若い男性でした。
かつて見たおじいちゃんの若い頃の写真とは違って、ほっそりしていて面長な顔立ちに、いかにも戦前にあったような丸眼鏡をかけたインテリ風な男性です。
「これはもしや、おばあちゃんの少女時代の恋人?」
なんて想像を逞しくしまして、いろいろと漁ってみました。
『昭和×年 東京府立●●高等女学校』と書かれた卒業文集と当時の日記が出てきました。
昔の字で書かれた文集を苦労して読んでみて、その行間のおばあちゃんの気持ちを感じて得心がいきました。
卒業後すぐに、家の都合で見合いをして結婚したおばあちゃんにとって、青春時代の憧れの人で、ずっと捨てられずにとっておいていたのでしょう。
そういうことって絶対ありますよね。
ありがとうございました。
おばあちゃんの弟(戦争中に若くして亡くなった)
の赤ちゃんの頃の写真
子どものおばあちゃんが
赤ちゃんを大事そうにうれしそうに誇らしそうに
抱いている写真
裏には万年筆で
「孝雄 御宮参」
と書いてある
端が少しいたんでいる
空襲と伊勢湾台風でアルバムがなくなってしまい
この一枚しか残っていない
この写真をどうやってとりもどしたか
生前のおばあちゃんに聞いても
曖昧ににごして教えてくれなかった
詩を読んだみたいです。
ありがとうございました。
オルガンの写真です。
当時高価であったけど、買ってもらった、オルガン。
おばあちゃんが座ってひいている写真です
髪は三つ編みでしょうか。
ありがとうございました。
小さな、ブリキで出来た菓子箱は、ずっとふすまの奥で眠っていた。ふすまの暗がりで、申し訳なさそうに、それは佇んでいる。
私は、まるで寝る子を起こさぬよう、ゆりかごから抱きかかえるかのように、そっと、手にした。
静かに襖の奥からその子を持ち上げると、黄色くなった畳の上に置いてみた。綿毛のような埃が真っ黒な仏壇のコントラストに浮かび、時計がかすかな動きを私の耳に伝えた。
おばあちゃんの思い出。
いつも楽しそうにおばあちゃんはブリキの蓋を、震える手で開けていた。それは白銀色に輝いて、とても高価なものだと子供の頃考えていた。
おばあちゃんのにおいが、そこから漂ってきそう。
ブリキのその子は、きっとおばあちゃんを好きだったのだ。
私は漂う空気も揺らがないほどに、静かな気持ちでその子の蓋を押し上げてみた。キイ、という鳴き声を上げて、その子の口が開く。
私はゆっくりと蓋を畳において、おばあちゃんの宝物を見つめた。
そこには、古い便箋と、所々に虫が食った跡のある、琥珀色の手紙が、何もかも忘れたように、佇んでいた。
私は手紙を開いてはみたけれど、そこには縦書きの古い文体と、一枚の写真があるばかり。
私にはこの流れる水のような文字は分からないけど、写真に写ったとても背の高い、暖かな日差しに包まれて佇むその人のことはよく知っている。もう、動かなくなった古い記録には、きっとあの頃の神社の木漏れ日から照りつける、やかましい太陽の赤が刻まれている。その人の傍には不満そうにつぶれた顔の、小さな私。
おじいちゃん。
きっと、おばあちゃんはずっと少女だったのだと、そう思う。
いつも描写がきれいですね。
ありがとうございました。
わー、きれいです。
すこし、こういうの、想定してました。
ありがとうございました。