人生って常に悩みはつきもので目の前にある問題を解決していくことで突き進んでいくものというか・・・そいうもんだと頭では思うんですが・・
自分の性格を自分で分析すると・・・過度のビビリというか慎重派というか人生の壁にぶつかると本当に良く悩みます。思考停止します。
勇気が無いです。自信も無いです。発言がネガです。
人は未来や過去を考えるから悩むって誰か言ってましたがいつも私は苦悩してます。人生ってチーズはどこへ消えたのねずみみたいな生き方が最高だと思います。あんな性格に自分を改造したいです。
あなたはどうやって変わりました?
「明らかに音楽の才能がないのに音楽をやり続けたい」
どうしたらよいのでしょう?
努力するもよしあきらめるのもよし。
「明らかにIQが低くて馬鹿なんだけど、東大に行きたい」
どうしたらよいのでしょう?
努力するもよしあきらめるのもよし。
結果は知りませんよ。
生き方を求めてるのか、結果をもとめてるのか?
まあ、努力するにしても、最適な方法論を選んだほうが
結果は出やすいのは出やすいですが。
表面だけでいいのなら、
自己啓発セミナーみたいな方法論
マインドコントロールのような心理学テクニック
自己暗示のような心理学テクニック
とかありますよ。
成功した人の話の中で多いのは、
毎朝、鏡をみて、俺は成功するんだ、絶対に成功するんだと
いうというお話ですね。
「周囲から助けてもらう能力」というものは確かにあります。
これが上手にできるようになると、人生だいぶ生きやすくなるように思います。
壁を打開し、あるいは乗り越え、突き進んでいくガッツももちろん人間的な成長には欠かせないものなのですが、なんでもかんでも自分だけで解決しようとするのには無理があります。ほぼ不可能です。
周囲から上手に助けてもらう能力、を身に付けてみてはどうでしょう。
結局、それがいわゆる「協調性」とか「コミュニケーション能力」とか、社会人として必須のスキルにつながっていくものなのではないかとわたしは思います。
ちなみにわたしは精神科にかかることで変わることができましたが、これも「他者の助けを借りる」ことですよね。
また、どうしても思考停止してしまうなら、今はあまり根を詰めて考えなくてもいいのではないかと思います。
そんな無責任な、と思われるかもしれませんが、人生って、行き詰ったときにはじたばたしないでじっとしてたほうがいいんじゃないかな、と思ったりするのです。
考えて先が開けるようなものではなく、「動く」か「動かない」か、そのどちらかでしか変わらないものなのじゃないか、と。
思考停止してしまうということは、どう動けばいいのかがまだわからない、ということだと思います。
そういうときは、ひとまず、今目の前にあることをひとつひとつ、こなしていくしかないのです。
不安でも、自信がなくても。
そうすることでしか、変わることはできないと思います。
もちろん、必要と思われる情報源には常にアンテナを張っておく必要はあります。
「考えなくてもいい」ということは「知らなくてもいい」とは違いますので。
20代というのは、まだ自分の人生というものが見えなくて、不安や迷いがとりわけ多い世代なんだそうです。
わたしはもうすぐ20代の終盤を迎えますが、その話を聞いて「あぁ、自分だけじゃないんだな」と安心した記憶があります。
わたしは幸運にも自分の道を見出すことができましたが、それもたまたま運がよかっただけで、数年前までは本当に一寸先も闇に包まれているような気分で、不安で不安で仕方ありませんでした。
でも、いくら悩んでも先は見えませんでした。
内心不安でも、迷っていても、とにかく目の前のことに一生懸命取り組んでいたそのことが、一見回り道のようでも、実は今につながっているのではないか、という気がしてます。
ねずみの本、私も読みました。
でも、あの本読んだからって変われませんよね…
私はあるとき、『自分は自分』と開き直ること、で変わりました。
それから超楽観主義と自分を定義。
しかしそれがいいのかは分かりませんが^^;
あと、バカみたいに(失礼だけど)すっごく明るい友だちに出会えたことも変わった理由です。
小さなことに感動し、感謝する友だち。
(読んだことあるかも知れませんが)コエーリョのアルケミストを読んだら何か変わるかも知れません。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/404275001X/249-4631266-8330740?Su...
私もとても慎重派です。
ドラクエとかやっても、すぐに村に戻れる近場に登場するモンスターを余裕でやっつけられるレベルになるまで先へ進まずにいるタイプでした。友人がガンガン先へ進んで強い敵と戦って大きな経験値を得ていく姿を見て、「こんなところまで性格が出るのかと」愕然としたものです。
しかし、私はそんな自分が嫌いではありません。
そこそこしっかり生きてこられてますし。
自分を好きになれば、自信が出てきて行動も大胆になってくるんじゃないでしょうか。むしろ自分は、この変な自信から無謀な行動をしてしまうのではと心配しているくらいです。(それでも慎重な方だとわかっているのにです。)
心配しているのは、自分の生き方だと思うので、受け入れてしまいました。
自分が持っていないもので勝負しようとせずに、自分の持っているものを生かすことを考えてみるほうが答えを見つけやすいかも知れませんよ。
(「チーズ」は私も読みました。いろんな考えがあると知ることは良いことと思います。)
ケロリズムのすすめ
人間の細胞は、ほとんど数年ごとに入れ替わっているので、昔の自分
と、今の自分は別人なのです。生れ変る必要もありません。
── 「記憶力」とは、体験したことをそのまま保存・再生する能力と
思いがちですが、実は記憶を編集し、整理することによって新しい意味
を立ち上げる能力です。
── 茂木 健一郎《「脳」整理法 20050905 ちくま新書》
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/01/
なにか都合のわるいことを聞かれたら、つぎのように答えましょう。
「昨夜何処にいたの?」「そんな昔の事は忘れた」
「今晩会える?」「そんな先のことはわからないよ」
── 映画《カサブランカ 19460613 America》
── 明日のことを心配するな。明日は明日が自分で心配する。一日の
苦労はその日の分で沢山である。── 《新約聖書:福音書》
── いよいよ救助隊がやってくることが確定し、その前夜に遭難者は
さまざまなジョークを考えた。ある者は、つぎのセリフを思いついた。
「救助隊員がやってきたら、なにが御用ですか? というのはどうか」
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070313
自前の美学 ~ ノーサンキュー ~
チーズについてですが、私は、一体何が自分にとってのチーズなのか、ということをハッキリさせておく必要があると思うんです。
あの本は教えます。たしかに私達は、常にチーズの変化に敏感でなければなりません。変化に気付いているのに、自分を安心させたい一心で変化は気のせいだと思いこもうとしたり、変化を確かめるのが恐くなって放置したりしてはなりません。そして万一チーズが失われたり腐ってしまったりした場合は、すぐに新しいチーズを求めて行動を起こすことが必要です。
でも、私達にとってのチーズって、一体なんでしょう。仕事? 生き甲斐? いいや、それはもっとずっとフィジカルなレイヤに属する物でしょう。
なんたってそれが失われると、ネズミさんたちは本能的に新しいチーズを求めて旅立っていくのですから。
あの本では、チーズはたとえば仕事や職歴、あるいは仕事上関わっていく産業界の情勢などに関係があることを示唆します。そしてそういうものに敏感であることがビジネスマンの条件であると教えたいようです。
でも、私はそういう受け止め方こそ、二人の小人が抱いていたチーズに対するイメージなのだと思うんですね。
仕事なんて、本能が求める、本当の意味での必要不可欠なものではありません。いくらそこに生き甲斐ややり甲斐を求めていても、所詮は労働という行為を金銭に変えるための手段。そんなのが失われても厳然として目の前に残っているもの。それこそが、私達にとってのチーズ、ということでしょう。
そのチーズ探しが、よく言う「自分探し」です。まだ本当のチーズが見つかっていないから悩むんです。それはチーズ探しの真っ最中であるという証拠です。
それより、チーズ探しを楽しみましょうよ。チーズ、見つからないねえ。俺にとってのチーズって一体何なのだろう。でも、ネズミたちが本能で求めるような物だから、それはきっと気持ちいい物に違いないよ。楽しい物に違いない。もっと気持ちよくなってみよう。もっと楽しくなってみよう。それがきっとチーズに近付くことに違いない・・・・と。
私はそんな、お気軽極楽お手軽フィジカルなチーズ探しをお勧めします。なんかチーズ探しの道が暗澹としてきたなと思ったら、風呂にでも入って、うまい物でも食って、楽しい妄想に浸りながら一晩寝てしまう。それがチーズに近付く軌道修正。案外、青い鳥と同じように、チーズは手の届く所にあるかもしれません。よそを見ているから気が付かないだけで。
何が自分にとってのチーズなのかが分かれば、あとは楽しい一方です。私はそんな自分探しを楽しむことをおぼえたおかげで、けっこうアクティブな性格になれたなあと思っています。
ちなみに、本当のチーズ探し以外で突き当たる壁みたいなものは、どんどん回避しちゃって構いません。突き当たったら右か左へ曲がればいい。道を間違えたら戻ればいい。それだけの話です。
二度目に同じ壁に突き当たった時は、けっこう経験値が上がっていて、そんなもの軽く乗り越えられたりするものですから、気楽に構えていきましょう。
悩み、非常にわかります。
私も自分を変えたくて、悩み、そして一人旅に出ました。
旅では結局自分だけが頼りなので、意外と自信になりました。
"性格を直す"というより、自分の"悪いところを認め"て、いいところで補うようにした方が楽ですよ。
"発言がネガ"ですが、まずは口に出さないようにすることをお奨めします。なぜなら、"口に出す"のは自分への言い訳になるからです。例えば、仕事ができない人が「俺って頭悪いからさ・・」的なことを言うのは、努力する、変えようとしない自分への言い訳に過ぎないです。・・・・・私がそうだったのです。
"人生の壁"ですが、目的達成への道にある壁の場合、乗り越える方法を探すとおもいます。達成への道でなければ、逃げたり、回避したりします。で、その目的ですが、ある程度"決める"事が大切だと思います。情報がたくさんあるこのご時世では、どういった方向、どういった目的にするか悩みますが、決めることが重要です。例えば、"東大にいく!"という具体的な目的を決めてしまい、その手段を検討するといったところです。色々と悩むかと思いますが、決めてしまえば進むだけなので・・・・
すいません、上記は私の意見なのでURLはダミーです。http://news.google.co.jp
三国志に司馬懿という人物がいます。
http://doron.allabout.co.jp/s/070530/index53.htm
彼は悉く、孔明にしてやられ、極端に慎重な物事の運びや我慢を強いられます。
日本の作家作品だとこちらの敗北面ばかりが極端に強調され過ぎですが。
しかし、彼をあざ笑った魏の武将で蛮勇で軽はずみな行動をしたもの方こそ、孔明には徹底的な大敗を喫し、あるものは絶命し、あるものは捕虜になります。
司馬懿の対応で被害は軽減化されています。
司馬懿の孫、司馬炎は晋の初代皇帝となりました。
あれだけの様々な英雄が活躍をしていたわけですが、
長い目で見れば最終的に彼こそが三国の決着を導いたわけです。
つまるところ、慎重なことは長所でもあるわけです。
大胆なリスクテイキングを行う人物はそれなりの数の酷い目にもあっているでしょう。
誰もが「危険冒険ドンと来い」というギャンブラーな訳でもありませんし、
バクチは当たる事が少ない、というか「殆ど当たらない」からこそ、ラッキーな希少人物をマスメディアは煽り立てているだけで、
地道で真面目な性格の人はその長所を生かせばいいのであって、自分を改造する必要はなく、気分的なとらえ方や、自分を生かしたやり方にだけ変えれば良いのだと思います。
人間、歳を取るとどんどんずうずうしくなります。
悩みが多い人は、是非日記を書いてください。
パソコンやブログでなくて、紙のノートにインクで書きましょう。
正直な気持ちを書き連ねることが重要です。
将来、図太くなった時に、その日記を読みながら、悩み多き若者向けの
啓蒙書とか、小説とか書くべきです。ひょっとしたら当たるかもしれません。
悩みの無い人にはできない芸当です。
自信をつけるには、今やりたいことの中で自分にできることから、テーマを絞って、まずは、自分の周りにこれに関しては自分の右に出るものがない、と確信できるようになるまでやり続けることだと思います。
感動しました