朝は人にたたき起こされ
家族に遅いと言われながら目の前にある食事を食べ
定期券通りの順路を満員電車で通勤/通学し
用意された仕事/講義をただその通りにこなし
昼に渡された弁当を食べ
夜までただタスクをこなし
夜は上司/先輩に連行され愚痴を聞かされながら接待し
夜遅く定期券通りの順路を逆に帰り
帰りが遅いと文句を言われつつも用意された風呂に入り
今日一日何事もなかったかのように寝る
このような生活を繰り返している状態
ロボトミー手術を受けた人。
脳の前頭葉を損傷した人。
死んだ人。
新生児。(多分・・・)
人ではなくなった人。
知人の子どもにたまに会うと、見るたびに人間っぽくなっていくなあ、と思います。
感情がなくなってタスクのみに従事している感じです。
わたくしは、人格は起動するような感覚を持っています。
余り健全では無いのかもしれませんが
家庭の事情のため血縁者と一緒に居るときには
全ての人格のアプリケーションを閉じてしまっています。
出来ればなるべく一貫して人格を持ち続けることが出来るような環境を作るべく、
少しずつですが、人生見直し・修正中です。
「人格のアプリケーション」が閉じていても、OSは起動していますか?
人格を持っていない人と言うのは精神的に病気を持っている人か脳死状態の人ぐらいで一般に生活できる人ではありえないと思います。
私が思う「人格」でも、そんな感じですね。
こんにちは。
id:p00437さんの回答に同意です。
人格(じんかく)は、個人の心理面での特性。人柄。または人間の人としての主体。
上記や
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E4%BA%BA%E6%A0%BC&dt...
上記のように、「人格」という言葉の中に人柄や主体性など多くの要素が含まれており、身近だけど難しい言葉だなぁと考えさせられました。
重い精神疾患、痴呆、脳が物理的なダメージを受けた場合などに、人格に変化が見られたり、人格を維持できなくなったりすると思います。この時、「主体性がないよね」って意味で「人格」を使っていたとすると、うまく話が噛み合わなくなるかもしれません。
「人格」のどの意味について話しているのか、確認しあう必要もあるのかもしれませんね。
「人格者」だとかいう用法は自分ではしないので、念頭になかったですね……。
昔の日本にいた「おじろく」「おばさ」と呼ばれる人たちは人格が無さそうに思います。何らかの人格障害と予想されていますが、人為的にそうなったというのが少し怖いなと感じます。もしかしたら、生きていくのに必ずしも人格は必要ないということにもなるのかも。
たとえ一貫していなくても、人間がそこにいれば人格があるように認識してしまうのでは……とも思ってたのですけど、この場合は、ほんとうに「ない」ように扱ってるようですね。そういう風にも、できるもんなんですね。
「離人症状で苦痛があり」、とのことで、苦痛を感じるのは人格があるから、少なくとも人格はあるものだと判断している……判断できるだけの何かはある、という風に思えます。
「アイデンティティー」がない状態だと思います。
「アイデンティティー」がないと主張する人もいるかもしれませんが、
普通に生活を送ってる限りは、必ずあると思います。
精神疾患であろうとあると思います。
脳死状態とか植物状態とかになったら、ないとは思います。
「アイデンティティー」っていうのも、わかるようでわからないですが。ひとによって使ってる意味が違いますし。
精神疾患でも「ある」、というのは気にとめておきます。
放置すると死にそうですね。