コピペでも、あなたの創作でも構いません。
http://vipvipblogblog.blog119.fc2.com/blog-entry-245.html
さっきまで「涙がでちゃうコピペ」を読んでガンガン泣いていたのですが、いまはもう人が死んだり不治の病や貧乏に苦しんだりするのを見たくありません。
上記のサイトの >>80 の阪急電車の話は、直接的には人の死がでていないけれど泣けます。そんな感じのお願いします。
映画や小説の紹介は、今回はご遠慮ください。
ありがとうございます。
flashになっているところがポイント高いですね。
コピペどころじゃなくちょっと長いですが、日韓W杯の頃、私が見て泣けた話です。トマソンも素晴らしいですが、その前のオルセン監督の発言も素晴らしいと思います。
ありがとうございます。
この話は知りませんでした。いい話ですね。。。
焼き芋
娘から教えて貰い読んでいます。私にもありました。父と母が離婚し父が出て行く日母は子供達にみせまいと、十円私に渡し弟と一緒に近くの焼き芋屋にお昼のご飯を買って来る様に言い、二人で行き、帰って来ました。早く帰って来たのか父が遅くなったのか?ちょうど父が出て行く所でした。すまんね、一言残し。その後母、私、弟三人でたかなの漬物と一緒に帰って来た焼き芋を食べました。45年過ぎた今でも焼き芋を食べるたびに思い出されます
ありがとうございます。
ご自身の体験なのでしょうか。食べ物が伴う思い出は、長く残りますよね。。
ある一日の終わり・・・係員の女性がわたしを迎えに来る足音が聞こえてきます。
わたしは彼女に連れられて離れた部屋へと廊下を歩いていきました。
和やかなくらい静まりかえった部屋でした。
係員の彼女はわたしを台の上に乗せ、耳を撫でて、怖がらなくてもいいといってくれました。
これから起こることにわたしの胸は激しく鼓動を打っていたというのに
わたしはなぜかホッとしていました。
溢れる愛情の虜になった私にもう残された時間はありませんでした。
持って生まれた性質というのでしょうか、わたしは自分のことよりその
係員の彼女のことが心配でした。
これからやらなければならない事にどれだけ苦しんでいることか・・・
わたしには彼女の気持ちがわかるのです――あなたの気持ちの総てを察していたのと同じように。
彼女は涙を流しながらわたしの前足にそっとゴム帯を縛り、わたしはずっと昔あなたを
慰めたときと同じようにその手を舐めてあげました。
彼女は手馴れた様子でわたしの血管に針をさしました。
わたしはチクリとする痛みと冷たい液体が身体の中を流れるのを感じながら
ウトウトと横たわり彼女のやさしい目を見て「どうして?」と呟きました。
わたしの犬語が通じでもしたのでしょうか、「ほんとに・・・ごめんね」と彼女がいいました。
彼女はわたしを抱きしめ、あなたは今よりもずっと良い所へ行ける、
誰からも無視されたり虐待されたり置いてきぼりにされたりしない、
自力で生きていかなければならなかったりしなくていい場所、
今いるこんな世の中とは全然違う愛情と光に溢れた場所へ行くのだと。
そしてそこへ旅立つわたしを見守るのが彼女の仕事なのだと口早に告げました。
わたしは最後の力を振り絞り、自分の尻尾を一振りすることで、さっきの「どうして?」は
決して彼女に対して向けたわけではないことを伝えようとしました。
愛するご主人様、わたしが思っていたのはあなただったのです。
わたしはこれからもあなたを思い続け、ずっと待ち続けます。
どうかあなたがわたしのような愛情を持った人達で囲まれて人生を送れますように。
―終―
ありがとうございます。
これ、もっと長いストーリィの最後の章なんですね。
http://blog.goo.ne.jp/yuzu1009/c/37fba4b1588aec4daba0c8bce2cd9e0...
このブログの人が和訳したもののようですが、元の英文も探せば見つかるのかな。
http://daily-news-world.seesaa.net/article/108710683.html
先日のニュースです。
「将来、同じことが繰り返されないように医療が変わったら『変えたのはお前の母親だ』と言いたい」と語す。
このようなしっかりとした、気持ちを持ち、この言葉を発することが出来た彼の言葉。
自分の妻が亡くなってしまった怒り・悲しみ・苦しみもある中。
考えられないほどの温かさ。
涙が止まりませんでした。
ありがとうございます。
この話題は、私も涙しました。
でも、「人が死なないこと」という条件には合ってませんね。。。
もう少し厳選してほしかったです。
「以心伝心」は私も好きな話です。
http://labaq.com/archives/50811792.html
ポール・ポッツ(Paul Potts)・・・・・この名を聞いても何にも思わなかった。
記憶の片隅を探っても、聞いたことのない名前だ。
でも、しかしYoutubeから聞こえてきた彼の歌声と彼の表情が焼きついて忘れえぬ名前のひとつになった。興味が無いオペラなのに・・・・
その彼のサクセスストーリを演出したのがイギリスのテレビ番組で、「Britain's Got Talent」という タレントを発掘するためのタレントショーだ。
この番組の予選にポールはくたびれたサラリーマン(携帯電話セールス)のいでたちで現れた。辛口の審査員の前でオドオドした態度のポール。
その後は感動で胸が震えて覚えていない。
何故か知らないが、鳥肌が立っていた。パソコンの中の小さなYoutubeの画面から彼の必死さが滲み出て来るのか?言葉が違う東京の島国に人々までそれは伝わるものなのか?
兎に角必死に聞いている自分が居た。
ありがとうございます。
これ、私も初めて観たときに泣きそうになった記憶があります。音楽で泣く経験は素敵だと思います。
「あたし彼女」
で泣いてしまいました。
http://nkst.jp/vote/novel.php?auther=20080001
ケータイ小説を馬鹿にしていたのですが意外に泣けます。
最初はイライラするかも知れませんが・・・
ありがとうございます。
ケータイ小説を馬鹿にする気持ちはありませんが、残念ながら読む気にはなりません。
わりと有名ですが、私の好きな話です。
日本人であることの誇りを思い出させてくれます。
■大和心とポーランド魂
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/poland.html
■後日譚
こちらは、このフラッシュの原作?となったと思われるページですが、
6以降にフラッシュの後にあった後日譚が紹介されています。
ありがとうございます。
この話は知りませんでした。知らなかったことに驚きました。
ありがとうございます。
個人的にはわりとタイムリーな話題です。
http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20081028/1225205632
私はめんどくさいことを考える人間ですので。。。
ありがとうございます。
これは転載可能だと思われるので、解答欄に転載します。
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母というものを知らずに育っていた。
でも、祖父母も父も俺を愛情を持って育ててくれていたし、
祖母は事あるたびに母の悪口を言っていたから、会いたいと思ったこともなく、
むしろ憎んでいたかもしれない。
中学2年の夏休みの頃だったか、予定より早く部活を終え、帰宅すると、
家の前に見知らぬ女性がいた。
にっこり笑いかけ○○君でしょ?って声をかけて来た。
頷くと、祖母を訪ねて来たが留守のようなので困っていたとのこと。
待っていうちにお腹がすいて来たので、おごるから一緒に近くで食事をしないかと言われた。
自分も空腹だったので、不審に思いながらも付き合うことにした。
ファミレスで彼女は食事をしながら俺にわからないように何度も涙をぬぐっていた。
俺もいくらなんでも彼女が何者なのかを察していたが、知らないふりを通していた。
「おばさんのお父さんがね、昔、事業に失敗して大きな借金を作っちゃったの、
おばさん、保証人になっていたから借金取りが私のところにも来ちゃって大変だったのよ。
その時○○君のご家族にもご迷惑かけちゃって・・・」
と離婚の原因になったようなことも話していた。
その女性はそれ以降も何度か俺の前に現れては食事に誘ったりお小遣いをくれたが、
どこかのオバサンという認識でしか考えないようにしていた。
でも、そのうち、彼女がやってくるのを心待ちにしていることに気が付いた。
(決してお小遣いをくれたり食事を食べさせてくれるから、というのじゃなく)
祖父母や父は絶対そんなことがあったことを知らないと思っていた。
高校受験が間近に迫っていた頃、祖母がポツリと独り言のように言った。
「そろそろ、母ちゃんって呼んでやりんさいな。あんたももうわかっとるんやろ?」
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