ベースボールの国際試合で、日本人のプレーが一部、批判されました。その批判のうち、私が気になったのは、「キャッチャーがストライク・ゾーンに関して審判の目をごまかそうとする、日本人はフェアではない」というものでした。
一方、サッカーにおいて、審判を欺き敵チームの選手にわざとファウルを取らせるのもテクニックのうち、と過去になにかで読んだ覚えがあります。そのときはその考えに賛成しかねました。
しかし、ほかのもろもろのスポーツを見渡したとき、総じて日本は諸外国よりフェアな方なのではないか、という印象を受けます。
とはいえ、私はスポーツにはほとんど無知です。審判の目を欺くのは是か非か、国際的には許されるスポーツの「アンフェア」があるのか、それを決めるのは「グローバル・スタンダード」なのか。皆さんのご意見をおきかせください。
野球に関していえば、日本とアメリカではまったく別の捉え方をされてきた歴史があるようです。
アメリカではフェアプレイ云々というより基本的にピッチャー対バッターの一対一の勝負が基本軸として存在しています。で、プロレスのように一つ一つの対戦にストーリーラインが存在するようです。
そのため、点差が開いた試合での盗塁は戦意を喪失した相手に対する侮辱であるとされたり、味方の主軸打者がデッドボールを受けたら報復しなければならないなど、日本人から見ると浪花節的なルールブックに載っていない不文律が沢山あるわけです。
それに対して日本の野球は組織プレー重視で、ルールに則ってさえいればどんなプレーも許された歴史があります。審判に対しても対戦相手に対しても裏をかく行為はむしろ賞賛されるべき新しい発想として歓迎されてきたのです。
例としては小川健太郎の背面投げや、野村克也のささやき戦術などが上げられます。
一見合理主義的なアメリカでは独特な倫理観に支配され、情緒的と見られがちな日本でドライに戦術面が熟成していったのは逆転の構図にも見えますが、日本のオタク文化が文化的なタブーが存在しない戦後日本で世界に評価される文化に熟成していったこと、多種多様な人種構成の社会であるからこそ社会的な評価を得るには信教の有無が前提条件になっているアメリカの事情を考えると野球・ベースボールのそれぞれの進化の形は両国文化の一面を現していて興味深いところがあります。
>一方、サッカーにおいて、審判を欺き敵チームの選手にわざとファウルを取らせるのもテクニックのうち、と過去になにかで読んだ覚えがあります。
もし、審判が「欺いた行為」と判断すると「ファウル(反則)」と判断されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%83%A...(%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC)
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=247270
>審判の目を欺くのは是か非か
基本的には「非」でしょう。スポーツの原点を「イギリスの貴族の遊び」と考えると「非」となるでしょう。日本のスポーツである「剣道」「柔道」「相撲」なども「精神を重んじる道」もしくは「神にささげる神事(相撲)」であり、これも「非」でしょう。
「是」とする考え方がプロスポーツが盛んになるようになって台頭してきたものと思われます。(プロレスではレフリーに隠れて反則をするのをショーとして取り入れられたりしたでしょう)
また、プロ野球でデッドボールがきわどい時に「当たったと思われる反対の腕を痛がる演技」をビデオが紹介されたりしています。これが高校野球やサッカーなら批判される行為でしょう。
そういえば、「フットサルでオウンゴールで負けるように指示した教頭が処分」という報道があったけど、「作戦」として提案し、選手も納得の上でやった事なら、別に悪い事ではないでしょう。
ありがとうございます。
「スポーツの原点を『イギリスの貴族の遊び』と考えると」とありますが、スポーツの起源を知らない私には、この記述は仮定の域を出ておらず、そのため説得力を感じることができませんでした。
野球に関していえば、日本とアメリカではまったく別の捉え方をされてきた歴史があるようです。
アメリカではフェアプレイ云々というより基本的にピッチャー対バッターの一対一の勝負が基本軸として存在しています。で、プロレスのように一つ一つの対戦にストーリーラインが存在するようです。
そのため、点差が開いた試合での盗塁は戦意を喪失した相手に対する侮辱であるとされたり、味方の主軸打者がデッドボールを受けたら報復しなければならないなど、日本人から見ると浪花節的なルールブックに載っていない不文律が沢山あるわけです。
それに対して日本の野球は組織プレー重視で、ルールに則ってさえいればどんなプレーも許された歴史があります。審判に対しても対戦相手に対しても裏をかく行為はむしろ賞賛されるべき新しい発想として歓迎されてきたのです。
例としては小川健太郎の背面投げや、野村克也のささやき戦術などが上げられます。
一見合理主義的なアメリカでは独特な倫理観に支配され、情緒的と見られがちな日本でドライに戦術面が熟成していったのは逆転の構図にも見えますが、日本のオタク文化が文化的なタブーが存在しない戦後日本で世界に評価される文化に熟成していったこと、多種多様な人種構成の社会であるからこそ社会的な評価を得るには信教の有無が前提条件になっているアメリカの事情を考えると野球・ベースボールのそれぞれの進化の形は両国文化の一面を現していて興味深いところがあります。
なるほど!わかりやすかったです。
日本のある大手新聞社が、「日本のベースボールはけしからん」という国際的評価を無批判に受け入れて同調しており、とてもひっかかりました。
愛国心からこう言うのではありません。むしろ、スポーツについてものをいう日本の新聞記者は頭を使うのが苦手なのかね、と揶揄したくなるほど、自分でなにか考えた痕跡が文章に見当たらず、それが嘆かわしいのです。
スポーツが生まれた場所の違いによる物ではないのでしょうか。
御存知でしょうけれど、サッカーはヨーロッパで、ベースボールはアメリカで生まれました。アメリカ人は、異常にフェアという事にこだわります。ミットを動かすのはアメリカ人審判から見れば、フェアではないのでしょうね。
ヨーロッパでは、スポーツは戦争の代わりなので何をしても勝たなくてはならないという考えなのでしょう。ヨーロッパでベースボールが広まらないのも、そんな、きれいごとばかりのスポーツは好きではないからかも知れません。
それに比べて、日本人はアメリカとヨーロッパの中間なのです。両方の言う事が解ってしまうので混乱してしまうのではないのでしょうか。
日本には、高校野球という一度でも負けたら、そこで終わりという試合があるので、何をしても勝つという戦い方が許されているのもアメリカとの違いだと思います。
アメリカ人の考えるベースボールと日本人の野球では、本家のアメリカに合わせるのも仕方が無いのではないのでしょうか。
回答ありがとうございます。
「ヨーロッパでは、スポーツは戦争の代わり」?すみません、よくわかりませんでした。
「スポーツ」=「戦争」と考えれば、「レフリーが見てないところでは何をしてもよい、勝てば官軍、目的は手段を選ばず。」となります。基本にこの考え方、態度があるからこそ、わざわざスポーツマンシップなどという「美談」がもてはやされるのだと思います。
回答ありがとうございます。
スポーツ=戦争説の論拠をご提示くださると大変助かります。
国によって、暗黙のルールがあります。
日本では、捕球後にミットを寄せるのは「ストライクに見せる技術」という感じになっていますが、
メジャーでは、「審判に対する侮辱」とされると聞いたことがあります。
そのほか、同じ野球でも、点差が付いた時の盗塁など、ルールにはなくても、暗黙の了解となっているものが多々あります。
それらは国によって異なるところなので、相手の国の概念では、批判すべき対象になるものもあるようです。
こればかりは、国によって違うとしか言い様がないと思います。
ありがとうございます。
国によって不文律のルールが異なるということは、国際試合前にみんなわかっていたことのはずです。だったら、そのような点まで配慮した国際ルールの規定をもっと議論すべきだったのではないか、と思います。
今すべきは、国際評価に無批判に従うことではありません。たとえ日本のプレーへの批判に同意するにしても、賛成反対をめぐって議論をするべきです。
つい熱くなってしまいました。
もう少しスポーツの原点に立ち返って考えるのは如何でしょうか。
スポーツは楽しむものであり、その上でより楽しいものにする為に
ルールもあり、スポーツマンシップも存在するのですよね。
そんなスポーツなのに勝ちを最優先に拘った時、ルールや審判は
完璧ではないので、そこに反則に近いグレーゾーンや、盲点を利用
する様なプレーが生まれてくるんでしょうね。
では、それらの「ギリ」のプレーを見て楽しいか、又プレーヤーは
楽しめているか。そこなんですよね。
ここまでだったらOKだろうとか、ここまではOUTだろうとかは
プレーする人、見る人の価値観によって全く違います。
つまり、そのスポーツを観戦する時には、そのスポーツのグレー
ゾーンの部分まで含めて好きになるか嫌いになるかで良いのでは
ないでしょうか。そうやって見るからこそ、人はゴルフには紳士な
態度を求めるし、プロレスには八百長も笑い飛ばし楽しめるのでは
ないでしょうかね(笑)
ありがとうございます。
スポーツは楽しむもの、同意します。
かつ、本当に楽しむだけのものであったなら、スポーツは国家や民族の誇りを背負うこともなく、オリンピックで日本人がいくつメダルを取ったかなんて話も鼻で笑えたことでしょうね。
なんにしろ、日本人はフェアではないと言っても反論もしてこないチキン、と思われるのが私はシャクです。
なるほど!わかりやすかったです。
日本のある大手新聞社が、「日本のベースボールはけしからん」という国際的評価を無批判に受け入れて同調しており、とてもひっかかりました。
愛国心からこう言うのではありません。むしろ、スポーツについてものをいう日本の新聞記者は頭を使うのが苦手なのかね、と揶揄したくなるほど、自分でなにか考えた痕跡が文章に見当たらず、それが嘆かわしいのです。