>>1980年には「田園調布に家が建つ」(「弁が立つ、腕が立つ」に続く韻踏み)というネタで一世を風靡。
彼ら(星セントルイス)が「田園調布に家が建つ」で一世を風靡したのは1977年頃でしょう。1980年って「笑ってる場合ですよ」が始まった年なので、テレビ演芸史的にコンフリクトすると思うんですよ。B&Bやぼんちを漫才ブームの第1世代とすると、セントルイスは早すぎた第0世代のニューウェーブ漫才師なんであって、演芸史的にも絶対に混同できないトピックだと思います。
ウィキペディアは、いつでも誰でも書込めるので、直接投稿できます。
たぶん、数回交互にバトルがあって、すぐに決着するはずです。
その結果が正しいかどうかはともかく、それなりのルールがあります。
ひとつのギャグが、はじめ東京や大阪の寄席で、さいごにはテレビで
全国区になるまで、数年かかるのは当然です。最近は、テレビで有名に
なってから地方のイベントに逆流するので、寿命が短くなっています。
その経過は、いろいろ試行錯誤しながらギャグとして定着するまで、
長く記憶されるのに、短期間に完成したギャグは、熟成する間もなく、
忘れられてしまうからです(昨年の“35億円”のように)。
1972-2003 漫才コンビ「星セント・ルイス」結成。
星 セント 19480116 長野 東京 20040722 56 /178cm/籍=村山 袈裟夫/ボケ(眼鏡)
星 ルイス 19481117 東京 埼玉 20050310 56 /153cm/籍=藤江 充夫/ツッコミ
セントの姉が鎌倉に住んでいたので「ああ鎌倉に家が建つ」が原型。
…… 田園調布に家が建つ(1980)。── 漫才協会@公式HPによる。
http://www.manzaikyokai.org/entertainer/saint-louis/
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19360220
長嶋家の人々 ~ 田園調布に家が建つ ~
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C5%C4%B1%E0%C4%B4%C9%DB%A4%CB%B2%C8%A4%AC%B7%FA%A4%C4
Wikipedia の該当ページの脚注にあるように、漫才協会のサイトで書かれちゃってますからね。
ぼくのイメージでは、1980年の漫才ブームは THE MANZAI が確定させた感じなのですが、記憶が曖昧だったので、関連する辺りの時系列を調べてみました(お笑いスター誕生!!は、敢えて外しました)。
THE MANZAI の第一回の出演者は、やすきよとカウス・ボタンは別格としても、他のコンビもあちこちでネタを見かけるようになってる売れっ子だった記憶があります。
最後に、時系列的に参考になりそうなのをひとつ。
Untitled, 301 漫才ブーム絶頂時に、セントルイスがブームを批判した記事を週刊プレイボーイが載せた。 ...
素性が分からない方の Tumblr なのですが、わざわざ創作をするような内容でもないので、信用して良いかと。
いや、違う。番号は何だろうと思いながら書いていたのですが、2ch の切り抜きでした(こっちもリンクを張っておきます)。
【訃報】漫才コンビ「星セント・ルイス」の星セントさん死去【07/22】
(追記)
Tumblr のやつの 351 は、一部しか転記されてませんでした。2ch の方の 351 の投稿の全文がこちら。
セント・ルイスは漫才ブームの前に人気があったって言うよりも、そのきっかけを作ったんだよ。
「田園調布に家が建つ」で爆発的な人気が出たけど、セント・ルイスだけじゃまるまる
一本番組を持たせるのは辛いから、他の若手漫才師たちを何組か登場させるようにしたら、
それが漫才ブームにとつながっていった。
でもセント・ルイスは他の若手たちと競演するのを拒否して、自分たちだけは別の日に
わざわざセットを組みなおして新しい客を入れて録画するようしてたらしい。
そのうち人気はセント・ルイスからツービートやB&Bなんかに移っていって、いつの
間にかセント・ルイスはテレビから消えていった。
セント・ルイスが出てきた時は新しいタイプの漫才で面白いと思ったけど、漫才ブーム
になってからはつまらなかった。
たけしを初めて見たのもセント・ルイスがメインの番組でチョロっと出てただけだった
けど、セント・ルイスなんかよりこいつの方が面白いじゃんと思った。
【訃報】漫才コンビ「星セント・ルイス」の星セントさん死去【07/22】
a-kuma3さん コメントありがとうございます。
漫才協会のサイトも誰かにヤラセっぱなしで誰も見てないんでしょうね。ナイツやヒロミに頑張ってもらうしかないね。
>>ぼくのイメージでは、1980年の漫才ブームは THE MANZAI が確定させた感じ
花王名人劇場・THE MANZAI(季節特番高視聴率)→笑ってる場合ですよ!(空いてる正午の時間でレギュラー化)→もう一度笑ってる場合ですよ!+ひょうきん族(本当に見たい層である中高生のニーズ)
この三段階で漫才ブームだったと思います。
僕の記憶だと、ひょうきん族も最初の内だけセントルイスは出演してたのにバカバカしいと思ったのか抜けちゃうんですよね。
Wikipedia の該当ページでも「1978年発売のナイアガラレコードのオムニバスアルバム『LET'S ONDO AGAIN』で、イーハトブ田五三九(大瀧詠一)が歌う『ハンド・クラッピング音頭』にゲスト出演しギャグを披露している。」と書いてあるし、これが「田園調布に家が立つ」なので、「1980年に一世を風靡」のわけないんですけどね。
adlibさん毎度ありがとうございます。
2018/07/27 05:53:22例えば「1963年ビートルズがデビューし、世界中の若者を虜にした」と書くと、ビートルマニアなら「いや、そうではなくて、最初の一年はイギリス国内でのローカルスターだし」と言われると思うんです。
例えば後年世代の人が「60年代後半、グループサウンズが大人気」といった歴史著述をすると、GS世代の人から「いや、そうではなくて、ブームとしてのGSは1968年だけ」といったクレームが付くと思うんです。
歴史の進行は常に等速度で連続変化しているわけではないので、すべての一年一月にこだわる必要もないけれど、ある特定の時系列だけは錯綜させてしまうと、考えるべき歴史事象の前後左右関係が見えなくなってしまうという危険性はある、と思います。