●秦(紀元前905年 - 紀元前206年)は、中国の王朝で、君主の家は、『姓は嬴(えい)』、『氏は趙』であるとされる。なお、紀元前221年に、当時の中国の全土を統一をしてる。
➡さて、ここで言う「姓」と「氏」は、どういうものなんでしょうか?
●『鮮卑族』の『拓跋部』では、三国時代の紀元後261年に、『拓跋力微』が曹魏に対して朝貢を行ったが、このことが後に、国号を魏に定める由来となっている。
その後、四世紀になり、北魏(紀元後386年 - 紀元後534年)が建てられた。この北魏は、中国の南北朝時代になり、『鮮卑族』の『拓跋氏』によって建てられた国で、やがて華北を統一して、五胡十六国時代を終わらせた。
●隋を成立させた文帝(楊堅)は、『楊氏』の出である。唐の帝室(李淵から始まる)は、『李氏』である。
➡さて、ここでいう『部』や『氏』とは、どういうものでしょうか。
日本では、氏と姓の区別は現代ではなくなっています(少なくとも法制度上は)。そして、苗字も名字も、氏や姓と同じ意味で使われています。
そういう中で、夫婦同姓とか夫婦別姓とか言うと、「姓」の話か「氏」の話かどちらなのか、
と思いますが、いまや、姓も氏も同じということですね。
中国ではどうなのだろうか、と思います。
コメント(4件)
https://ja.wikipedia.org/wiki/上古八大姓
https://ja.wikipedia.org/wiki/氏 (中国)
感覚としては藤氏の関係に近いのかも(藤原 ⇒ 佐藤、加藤、斉藤、工藤、・・・)
部は部族の意味のようです。鮮卑族を構成する1部族が拓跋部と呼ばれたとの事。
上古八大姓のページには楊も李も出てきませんが、楊姓については複数の由来(来源)が、李姓については複数の説が乱立しており由来が良く分かっていないようです。
https://zh.wikipedia.org/wiki/杨姓
https://zh.wikipedia.org/wiki/李姓
コメント有難うございます。
三国志あたりの女性の件ですが、
父の姓と父の氏、母の姓と母の氏を持っていたというご趣旨でしょうか。
それとも、生まれた時の姓と氏(これは、父方なのか)を持っていたというご趣旨ですか。
いずれにしても、三国志での記載では、
きちんと「姓」と「氏」の両方を持っていたようなイメージですね。
いずれにしても、夫の姓と氏ではなかったのですね。
現在の中国(大陸)、また、台湾の戸籍制度はわかりませんが、
つまり、近代的戸籍制度がいつごろ出来たかわかりませんが、
それらが成立する前のおいて、女性は結婚後も夫の姓と氏にはならなかったような印象です。
現代ですが、自分の姓はこれ、氏はこれ、と自覚している人は少なさそうです。
コメントを有難うございます。上古八大姓の頁を見ました。
姓は氏をまとめた概念みたいに整理されていますね。
すべての氏が、どこかの姓に属するというような。
そして、この上古八大性に繋がれば、自分は古代の帝王の子孫ということですね。
漢民族の大半が古代の帝王の子孫であるということになると、
それが時代を経て、貴族と庶民という風にわかれたということになります。
或いは、古代の奴隷は、帝王の子孫には遡れないのかもしれませんが。